帯広YEGでは、國枝会長、後藤議長の他に、木村君・石井君(総務委員会)、和田君(地域創造・支援委員会)、梶野君(YEG改革推進会議)の6名が日本YEGに出向しています。
出向メンバーの日本YEGでの活躍をレポートでお知らせします。
*** 2007年1月3日UP ***(更新が遅くなってゴメンナサイ)

■東海ブロック大会鈴鹿大会レポート 文責:和田郁夫

モータースポーツの聖地「鈴鹿」へ

10月27日(金)、今年度、最後のブロック大会となる東海ブロック大会参加のため、午前6時39分発のとかち2号で帯広を出発、千歳経由でセントレア中部国際空港に入る。同空港からは、名鉄、近鉄を乗り継ぎ、開催地鈴鹿の最寄り駅である白子駅には午後2時半に到着。同駅から大会会場の鈴鹿サーキットホテルまでは鈴鹿YEGメンバーに送ってもらう。

午後3時15分からの東海ブロック会長会議に出席。今年度の会長会議で実施されている会長ディスカッションでは、「YEGにとって10年後、20年後の地域をどうするべきかを考えた活動が必要である」「YEGには大きな力を発揮できる団体としての可能性を感じている」などといった前向きな意見が出され、“元気な東海エリア”の一端を垣間見た。

2時間ほどで会長会議が終了、前泊者懇親会が行なわれる同ホテル内「グランプリホール」に移動。オープニングでは本田技研のテクノロジー「ASIMO」や5人組みのレースクイーンが登場しステージを大いに盛り上げてくれた。

地域資源を有効活用、アイデア満載のブロック大会

10月28日(土)、朝6時に起床。同ホテル内の温泉「クアガーデン」に行く。早朝から広がる青空や近くの森から聞こえる鳥の囀りを聴きながら、爽快な気分で露天風呂にゆっくり浸かり前日のアルコールを抜く。

入浴後、軽めの朝食を取る。朝食会場は小さな子どもづれの家族で賑わっており、何か大きなイベントでも行なわれるのかと思ったが、サーキットに隣接して「モートピア」という大きな遊園地があることが分かった。楽しそうに談笑する家族を見るに付け、スーツにネクタイをしめ一人寂しく食事を取っている自分がいたたまれなく感じる。

朝食後、國枝会長と式典と講演会が行なわれるサーキットに向かいリハーサルに立ち会う。サーキットはさすがにF1が開催されるコースだけあって、その規模に圧倒される。スタンド席はなんと15万人のキャパシティがあるそうだ。

リハーサル終了後、國枝会長と第5分科会に参加。同分科会はビジネスチャンス交流会という名のOBサロンで同サーキットのビップラウンジが会場。ちなみにこのラウンジは、F1開催時には1人60万円で販売される特等席でサーキットはもとより鈴鹿山麓や伊勢湾も一望できる。会場に入るとメイドのコスプレの女性が「いらっしゃいませお兄様」と出向かえてくれた。さすが、遊び心が旺盛な鈴鹿YEGの趣向だ。

午後3時、サーキット内に設けられた特設ステージで、フジテレビF1解説者としても知られるモータースポーツジャーナリスト今宮純氏による「強いチーム(組織)はこうして作られる」と題しての記念講演会が行なわれた。講演の中で同氏は、「ピットストップにおけるチーム力の差がレースを大きく左右することや、ちょっとしたアイデアや工夫がチームに勝利を呼び込む」として、氏のきめ細かな取材を通じて得た“強いチーム”の様々な事例を紹介した。また、今年でF1開催が最後となった鈴鹿サーキットに対し「鈴鹿は自分を育ててくれた地であり、復活に向けて微力を尽くしたい。ヨーロッパ各国ではF1人気に翳りが見え始めていることや治安、動員力などからも鈴鹿での復活開催の可能性はゼロではない」とし大きなエールを送っていた。

なお、講演会の前段のオープニングセレモニーでは、スカイラインGT−RとマツダRX−7による“グルグル走行”や“追走ツイスト”が行なわれ、このイベントのためだけにタイヤ1セットを台無しにするというやんちゃな企画も行なわれた。さすが、鈴鹿YEG!

記念講演会に続き記念式典が粛々と行なわれた。前後したが、今年の東海ブロック大会の登録者数は、なんと1,567名。この人数はもはやブロック大会というよりは全国大会規模だ。

記念式典が終了し大懇親会会場に移動するが、会場がスタンド席とコースを隔てた向かいのピットの2階にあるホスピタリティテラスで行なわれるため、参加者はサーキットコースを横切るかたちで移動する。「ここを、アロンソが、シューマッハが走ったのか」と感慨に浸りながら会場に向かう。

会場のホスピタリティテラスは、通常、1区画40万円で販売。これをチームが買い取りスポンサーや取引先などを招待し、食事をとりながらレース観戦できる場所となっている。大懇親会では7区画ほどを使用していた。

主催者挨拶、乾杯など一連のセレモニーが終わり懇親会に突入。メーン料理は松坂牛の鉄板焼き、極上の牛肉に舌鼓を打つが、午後10時から予定されている特別エクスカーション“みそぎツアー”への参加を控え、アルコールは一滴も口にすることが出来ない。しかし、100人のレースクイーンの登場やバイクやラリーカーによるアクロバット走行など鈴鹿YEGの趣向を凝らしたアトラクションでやんやと盛り上がる。アルコールを口にできないのは不満も残るが、彼らのサービス精神、そして鈴鹿の地域文化であるモータースポーツにとことんこだわった演出には大いに満足させてもらった


みそぎとは“身を削ぐ”ではなく“御霊を注ぐ”と見つけたり

大懇親会終了後、いよいよ“みそぎツアー”が行なわれる椿大神社にバスで向かう。サーキットからは約20分で到着した。同神社の正式名称は「伊勢の国一の宮 猿田彦大本営 椿大神社(つばきおおかみやしろ)」。高速道鈴鹿ICにほど近い、鈴鹿山系の中央に位置する高山の麓に位置する荘厳な社だ。

同社の禰宜からみそぎ修行の簡単な説明を受け、褌と鉢巻姿に着替えてから境内にある「金竜明神の滝」に向かう。折からの小雨もあってか冷える体を震わせながら一列になり細い階段を下り順に滝つぼに入る。その後、3メートルの高さから流れ落ちる滝に背中から入り『払い給え、清め給え、六根清浄』の念を10回程度唱える。時間は大よそ20秒くらいだろうか、滝の水圧は結構強く立っているのがようやっとだった。ちなみに、禰宜の説明によるとみそぎとは「身を削ぐ」ではなく、「御霊を注ぐ」という意味だそうだ。

厳粛な儀式を終え、最後はなおらいのお神酒をいただき、すがすがしい心持で社をあとにし、2次会場の焼肉店に、ようやく冷たいビールにありつく。

港にも元気が溢れる東海エリア

翌29日(日)、この日も朝風呂につかり、遅めの朝食をとる。チェックアウト後、本ブロック大会の櫛田大会会長、伊藤実行委員長に隣町津市の「津エアポートライン」の乗船場まで送ってもらう。同船は伊勢湾を東西に横断し津から中部国際空港を結ぶ高速船で、空港までの所要時間は約40分であった。途中、何隻もの大型輸送船と行きかう。ここにも、東海地区の好調な景気を感じることができた。北海道にも早く景気の波が来てくれることを願いつつ東海の地を離れた。



*** 2006年10月12日UP ***

■にこばり梶野宗一郎の“四国ブロック高知大会”レポート 写真がイッパイ編 文責:梶野宗一郎

おっと、久しくレポートを書いていないと、
昨晩の10月例会で「早く読みたいから書いてよ」とせがまれるかと思いきや、全く反応はない。
あんなに、ミスターのブログは「本にしないの」と言われているのにな〜〜。
仕方が無い、ミスターVS小力では、相手にならない。
やっぱり「ミスタージャンケン」の布教活動にもう少し力を入れるべきだな〜。

さてさて、高知のレポートもままならず、今度は千葉の野田のレポートになるわけで、
これも書きたいのは山々だか、高知レポートを写真でご紹介しておこう。

まずは、この写真。
高知の一流シェフがミスターのために、鰹のたたきを作っているところです。
ミスターはご満悦。

次に料理三連発。まずは海産物。
例の鰹のたたき。
そして、クジラしゃぶしゃぶ。
高知の北岡大先輩とキムちゃん。
高知にはまった男・川崎委員長の
スリーショット。

そうしているうちに
「菊の花」というゲームが始まった。

このゲームは15個のお猪口が伏せてあって、その中に1つだけ菊の花が入っている。
その菊の花を当てた人が飲むというゲーム。

15人でスタートし最初はミスターから。難なくクリアーし、次の人も次の人もクリアー・・・・・、
とその時、
ゲームに参加していた15人の一人、ミスターの前に座っていたの四国ブロック代表、高知YEGの岡本理事が、
なんと打ち合わせに呼ばれて他の部屋に行ってしまった。
えええええ???? 刻々と皆はクリアー・・・・・。

もう皆さんはお分かりでしょう。
なんと我らがスーパーヒーローミスターは、一巡して再び自分に巡ってきて慌ててしまったのある。
しかし、さすがミスターである。一言もモンクを言わず。
ななななななな・・・・・んと、なみなみと注がれた15杯を飲み干したのである。
さすが、ミスターかっちょえ======。すてき〜〜〜〜。

♪ちゃかちゃんちゃん、ちゃかちゃかちゃちゃんちゃん・・・・。

前泊者懇親会をもう少し話そうと思ったら〜〜〜。時間の都合でここまでになりした〜〜〜。ちくちょう〜〜〜〜。

さて、打って変わって、時は次の日。高知市長と国の官僚とのすばらしいディスカッションがありました。
写真からその盛り上がりをご想像ください。あつい〜〜〜〜。

さてさて、そんなこんなで、あっというまに大懇親会。

これが、また凄かった。
ミスターが、舞台に上がると、みんな総立ち。
さすがミスターの人気振りには「小力」は一網打尽なのもわかります。

しかし、ミスターと引けをトラぬ役者が高知にはいました。

そうです、高知YEGの味本日本YEG副会長です。
コンパニオンが一斉にステージの駆け上りこのワンマンしょ〜〜〜〜。
絶好調の盛り上がり、ヤザワおしぼりが天を舞い、アンコールの声が鳴り響き、
コンサート懇親会は幕をおろしたのです・・・。

見れなかったメンバーの方、この続きは、川崎委員長に聞いてください。うふふ・・・。

そして、2次会。

ミスターの誕生日をお祝いすべく、
気遣いナンバーワン男、そうです、
キムキムことキムちゃんが、
ケーキを用意していました。
みんなで、ハッピーバースデーコール。

その声は、高知中を駆け巡り、
ミスターは感動のあまり、がぶついたであります。

この、お茶目なところが
ミスターを引き付ける人気でもあるのね〜〜。

全国の会長という姿と、みんなと常に同じ位置にいると感じさせてくれる姿と、
改めてミスターの偉大さを感じるこの四国ブロック高知大会でした。

簡単ではございますが、報告の中締めとさせていただきたいと思います。

・・・・?ということは、続きがあるってこと???

*** 2006年10月10日UP ***

■第26回関東ブロック大会野田大会の報告 文責:木村卓洋

10月6日(金)

ミスターは前日より東京に入っているので、梶野君と二人での出発となる。朝9時半に梶野邸へお迎えに上がり、何時にも増してお綺麗な奥様のお見送りをいただきながら出発。10時少し前に空港へ到着し2Fに上がると『帯広JC』の後輩、先輩(OB)が数名・・・・ 話を聞くと郡山で全国大会が開催されるらしく、いよいよ来年度に迫った帯広での全国大会をPRすべく60名程度で郡山に乗り込むとのこと。引き締まった顔を見ていると3年前に米子へ乗り込んだときの心境を思い出す。

12時半過ぎに羽田空港へ到着、空港のカレーショップで昼食を済ませて、モノレール・山の手線に乗り継ぎ、私は東京駅で途中下車、梶野君には一足先に野田の地へ向かって貰った。私は東京駅の八重洲口にあるドコモショップに寄った。9月の北陸信越ブロック大会へ向かう途中、携帯電話の電源が入らなくなり修理を依頼していた。レンタル電話をお返しし、自分の携帯電話と約1ヵ月ぶりのご対面。

ところで、東京は台風並みの暴風雨で傘もさせないほど、少し外を歩いただけでズブ濡れ、ズボンのラインがあっという間に無くなってしまった。

その後、仕事の用件を済ませて、一路野田市へ。野田市は人口14万人の地方都市。シャトルバスの窓から町並みを覗くと結構田舎かも??野田市のホテルへ到着するとブロック会長会議が丁度終了していた。その後直ぐ前泊者懇親会に参加。流石に関東ブロック大会、全国一の単会数、会員数だけ有って前泊者懇親会は200名程の参加者がいた。懇親会の中でゴルフコンペの表彰式が行われた。こんな大雨の中ゴルフをやったのか? 参加者に話を聞くとゴム長靴を履いて廻ったとか・・・・・。前泊者懇親会が終わった後、シャトルバスで移動して2次会会場へ、カラオケで2時間程盛り上がった後、この日はミスターと池戸副会長と共に11時半過ぎにご帰還。明日の朝は8時に朝食、9時前に出発とミスターからのご指示。お休みなさい。

10月7日(土)

8時に朝食会場へ、ミスターはまだ来ていなかったので、池戸副会長と先に食事を取る。8時半になってもミスターが現れないため、電話を掛けてみると今降りるから・・・・ 暫く朝食会場で待っていたがミスターは? もしやと思いロビーに行ってみるとそこにミスターが、食事は? 「朝食は取らなくて良い」「えっ、ミスター〜〜」

気を取り直してホテルを出発。天気は回復し、雨の心配は無さそうだが風が強い。今日はスケジュールが立て込んでいる。9時半からお寿司屋さんの部屋を借りて、全国商工会青年部連合会の大高会長と対談。10時半からは記念講演の講師でもあるキッコーマンの社長、牛久様との対談。キッコーマンは野田市が発祥の地で創業340余年立っているという会社である。対談後、牛久氏とミスターは少し早めの昼食。私と鳥澤専務・広報委員長の大谷氏は美味しそうなお寿司を見てるだけ・・・・・。時間がないため足早に記念式典の会場となる野田市文化会館に向かう。一服する暇もなく、12時から開会となるため、ステージ横へ待機。記念式典がスタート。12時からという開会時間に僅かな不安が・・・・・。13:40記念式典が終了。10分後に記念講演が行われるとのアナウンス。不安は的中、みんな外へ出て、物産展で飲食タイム。記念講演の会場には100人も残っていない。キッコーマンの社長が可愛そう!!

記念講演が終わると、次は分科会。我々は第5分科会【活き(粋)な会議】〜故郷の新しい風会議〜に参加する。勿論この会議は、後藤さんが議長を務める『YEG改革推進会議』が主催。さて、どんな会議になるのか? 会場前で後藤議長と会う。「お疲れ様です」。そして、会場内では梶野君が準備に追われているようであった。会場内は8つの島(テーブル)がセットされていて、そこにそれぞれ割り振られているようだ。ミスターはAテーブルで、私はBテーブル。8〜9人程度で囲む。まずは名刺交換。そして、各テーブルには1名ずつ若手の官僚が入る。それぞれの地域で抱えている問題点について、官僚を交えてのディスカッション。約1時間のフリートークの後、各テーブル毎に発表がある。各官僚は、「各地域で活躍されているYEGメンバーの生の声を聞きたい、そこから何かが始まる」と話し、正に今年度の日本YEGのスローガン『地域が創る日本の未来、故郷の新しい風YEG』である。四国ブロック大会では、官僚も交えたパネルディスカッション。そして、今回はテーブルディスカッションと大変意義のある時間となった。

分科会が終了し、シャトルバスで大懇親会会場の野田市総合公園体育館へ向かう。会場には既に多くのメンバーが陣取っていた。結構大きな体育館だが500〜600名程度は居るだろうか、会場一杯に溢れている。ブロック会長挨拶、ミスターの挨拶の後、乾杯!!

アトラクションが始まる。何と大盛りカレーライス(10杯分は優にある)の早食い競争!! 我らがミスターではなく、我らが梶ちゃんが参加したが、敢えなく惨敗。最後のアトラクションでは何と42型のテレビが抽選で当たるとのこと。会場から逃がさないためフィナーレの前に抽選。だいぶん人数が減ったので確立が良くなったな〜 等と思いつつ発表を聞く。残念!!

大懇親会終了後は、又シャトルバスに乗り2次会会場へ、またまたカラオケ等で大盛り上がり、それにしても、全国には役者が一杯いるものだ。物真似に踊り・・・・ 梶ちゃんも負けじと又やってしまった。『長州小力』。2次会が終わったのは12時少し前、体調が余り良くなかったので、ミスターは梶ちゃんにお願いして、一足先にホテルへ帰る。とてもハードな一日が終わる。

10月8日

あっヤバイ!! 寝坊してしまった。9時にはホテルを出なければならなかったのに、起きたのは8時50分。10分で支度しホテルを飛び出て、何とか電車には間に合った。電車には北海道ブロ代石狩YEGの大平君、池戸副会長、全国大会大会長の工藤さん、実行委員長の甲斐さんも一緒であった。皆さんお疲れ様でした。

この日、ミスターと後藤議長・梶野君はYEG改革推進会議が9時より行われる予定だ。私は次男坊が連休で札幌より帰って来ているので、一足先に帰らさせて貰った。すみません。

YEG改革推進会議の終了は12時、終わり次第野田市をあとにしても、東京発の3便には間に合わない。3名は最終便での帰帯となる。何をして時間を潰したんだろう?

拝啓 JAL様 発着便の時間をもうちょっと調整して下さい。

ブロック大会も残りは、北海道ブロック大会と東海ブロック大会。そして、いよいよ全国大会が待っている。


*** 2006年10月10日UP <10月19日PHOTO掲載> ***


■第25回東北ブロック大会酒田大会レポート 文責:和田郁夫


「地図では遠いが、意外と近い酒田」

9月28日(木)、山形県酒田市で開催される第25回東北ブロック大会「酒田大会」に参加するため、千歳空港から全日空機で庄内空港に向かう。飛行時間は約50分、折からの台風の影響で機体が上下・左右に激しく揺れる。離陸後、40分くらいが経過し、機は日本海側から大陸に進入、徐々に降下高度に入っていく。機窓からは庄内平野の刈り取りがほぼ終わった黄金色の大穀倉地帯や日本海に流れ込む大河最上川が見える。「五月雨をあつめてはやし最上川」奥の細道で松尾芭蕉が詠んだこの大河は、「みちのくより出て(中略)果ては酒田の海に入」のとおり、まるで広大な庄内平野に血液をおくるごとく、その大動脈を大地に廻らしている。

前日までの大雨の影響からか予定より30分ほど遅れて庄内空港に到着。空港からは酒田YEGメンバーが経営する「相乗りタクシー」に乗車し約20分で市内に入った。時刻は午後3時、午前10時に帯広発ったので5時間で酒田に着いたことになる。地図では遠く感じるが移動時間は意外と短かった。ホテルのチェックインを済ませ、午後6時からの前泊者懇親会に備え、しばし休憩をとる。懇親会の会場は、酒田駅にほど近い「ル・ポットフー」というフランス風郷土料理の店。ここは、酒田の老舗酒蔵「初孫酒造」が経営しているレストランだそうだ。そして、湊町は交易を通じ海外文化との接点が多いからか、酒田にはフランスなど欧風料理を扱う店が多い。

2時間ほどで前泊者懇親会が終わり、「すわ2次会へ」と思いきや、スケジュールの都合で記念式典のリハーサルを行なうことに。國枝会長に同行し記念式典が行なわれる酒田市民会館「希望ホール」向かう。懇親会での赤ワインが効きはじめたのか睡魔が襲うが、ねむたい目をこすりながらリハーサルを見守る、酒田YEGスタッフの真剣な表情を見るにつけ、2年前の全国大会に思いを馳せる。

リハーサルも無事終了し、この日、東京から酒田入りしている後藤議長と合流することになり、國枝会長、東北ブロック大会大会長の西村さんとともに議長と日本商工会議所の塩野課長がいる「七つ半」という居酒屋に向かった。同店は6〜7人が座れるカウンターと10人程度が入れる座敷があるだけの小さな店。毎日、酒田港に水揚げされる新鮮な魚を扱う有名な店でタクシーの運転手に紹介されたらしい。あいにく、この日は、前日の大雨の影響で漁ができず、魚の種類も少なかったが、さすがに地元のタクシー運転手が奨める店だけあって料理は絶品だった。

翌日からの大会に備え1時間ほどで店を出るが、ここで、後藤議長が宿泊している若葉旅館に温泉があることが判明。國枝会長が有無を言わせず旅館にむかい、受付で交渉したら「宿泊していなくても“タダ”で入浴してもいい」ことなる。早速、タオルを借り温泉につかる。いやー極楽、極楽・・・・・。

「酒田の歴史、文化を満喫」

9月29日(金)、午前8時に朝食を済ませる。この日は、朝から快晴の空が広がっている。自分達が宿泊した「リッチ&ガーデンホテル」の朝食会場の窓からは明峰「鳥海山」を望むことができる。

午前9時半、東北ブロック会長会議開催。詳細は梶野リーダーのレポートに譲るが、後藤議長から「故郷の新しい風会議」について、熱のこもった、かつ説得力満点のプレゼンテーションがおこなわれる。さすが、後藤議長。東北ブロックの会長もプレゼンテーションに引き込まれていた。その後、自分が所属する地域・創造支援委員会担当の会長ディスカッションが行われた。詳細は割愛するが、とにかく、東北ブロックの会長はみんな熱いエネルギーを持っている。

会長会議終了後、昼食を取ることに。地元のメンバーから「三日月軒」というラーメン屋を紹介してもらう。地元でも人気なのか、まだ昼前にも関わらず店内は満席状態。しばらく待って席に着くが、メニューはラーメン小・中・大の3種類のみ。自分と会長は大を、後藤議長は中を注文する。麺はコシのあるちぢれ麺、具はチャーシュー、メンマ、ネギのみ、スープは魚介類で出汁をとっているのかあっさりとしている。

記念式典で挨拶する國枝会長。

華麗な踊りを披露してくれた「舞妓」の二人。

白波五人男を披露してくれた「黒森歌舞伎」のみなさん。

ここが日本一の寿司屋「鈴政」。

日技神社の神殿。龍の彫刻が見事。

なぜ?朝8時半から全開モードの会議風景

今も現役で活躍する山居倉庫群。

昼食後、式典まで時間があったので、北前船で賑わっていた往時の廻船問屋で井原西鶴の「日本永代蔵」でも紹介されている鐙屋(あぶみや)の史跡屋敷を見ることに。さすがに、当時の日本海海運に大きな役割を果たし栄華を極めた大問屋の屋敷にふさわしく立派な建造物であった。

午後1時、いよいよ、東北ブロック大会の記念式典がスタートした。大会キャッチフレーズは「きたまえに、来たまえ!」。その昔、酒田は北前船で栄え「西の堺、東の酒田」と称された歴史を持つ。それにちなんだキャッチフレーズだ。

式典もほぼスケジュールどおりに進行し、いよいよ終盤に、ここで、同大会の特筆すべき事柄を紹介する。記念式典の最後に大会会長から「大会宣言」なるものが宣誓された。宣言内容は、「東北ブロック内46単位商工会議所の常議委員会に青年部の会長が常議委員構成者として出席し、意見を述べることができるよう、各会議所に具申していく」というもの、青年部という組織が何のために、誰のために存在するのか、そんな地域のおける役割や使命をブロック内単会の共通認識として位置づけ、ブロックという組織で提言していく意識の高さに驚かされた。

続く記念講演は、元日本経済新聞社論説委員で、早稲田大学大学院教授の田勢康弘(たせ・やすひろ)氏が、「安倍政権への期待と不安」と題し講演した。講演の中で同氏は、自身を「政治家を観察する職人」と称し、その取材活動から「安倍政権の寿命が比較的短命に終わるのではないか」と予測する一方、「組閣人事や今回の日中、日韓首脳会談実現に向けた動きは、かなり早い段階から周到に準備されていた」ことや「小泉首相が自分の後継者として、福田氏ではなく安倍氏に軸足をシフトさせていった背景には、小泉、福田両氏の感情的衝突があった」など政治の舞台裏を紹介、大いに会場を沸かせていた。講演を聴いて、やはり第一線の現場記者の言葉は、評論家のそれにはない重みや信憑性を感じた。

その後、午後4時半からは4会場に分かれての分科会が、同6時半から大懇親会が開催された。懇親会では、地元の伝統芸能である「舞妓」や「黒森歌舞伎」がオープニングセレモニーを飾った。舞妓は酒田が北前船で栄華を極めていた時代を連想させるかのごとく華やかですばらしい踊りを披露してくれた。聞くところによると、重要な伝統芸能として継承するため、地元有志が相馬楼という舞妓茶屋を経営しながら後継者を育成しているらしい。また、黒森歌舞伎は酒田市黒森地区に伝わる雪中歌舞伎で270年もの歴史を持ち演目数は500を超える。この日は、「白波5人男」を演じてくれた。オープンニングセレモニー、主催者、来賓挨拶が終わりいよいよ宴に突入。地元の海の幸、山の幸をふんだんに使った料理や酒田の銘酒に舌鼓を打つ。おかげで全国津図浦々を訪問させてもらっているが、それぞれの土地の美味、美食に触れた瞬間が、なんといっても至福の時だ。大分の全国大会、来年度東北ブロック大会開催地である八戸YEGのPRタイムで宴のボルテージも最高潮に達し、あっというまに大懇親会も終了の時間を迎える。

懇親会終了後、國枝会長、後藤議長と市内中心部に繰り出す。地元メンバーから紹介された串焼き屋で一杯やるも、一時間ほどでこの店を出て、前日に行った「七つ半」に。この日は漁果もよかったらしく、豊富な魚介類が揃っていた。同店名物の「魚のすきしゃぶ」を注文。この料理は、そこの薄い土鍋に味噌風味の出汁が入っていて、これに山形名物の赤ねぎを入れ、沸騰した出汁に薄く切った魚をさっと通して、とき卵につけて食べる。初めて食べる料理であったが、これが実にうまい。こうした、それぞれの土地の食文化に触れることができるのも、國枝会長のセクをやらせてもらっているおかげである。

「酒田の日本一旨い寿司屋探訪」

9月30日(日)午前8時半、酒田商工会議所がある酒田産業会館で加賀会長会議の打ち合わせが行なわれた。この日は、國枝会長はじめ、鈴木順三副会長、後藤議長、地域・創造支援委員会メンバー、加賀YEGメンバーら26名が参加。同会長会議における大討論会の内容や今後の作業スケジュールなどについて、早朝からの会議に関わらず喧々諤々の議論が行なわれた。いつ参加しても、この委員会の会議は濃い!

会議終了後、かねて後藤議長がJAL機内誌でみた「日本一旨いすし屋」へ行くことに。店名は「鈴政」、市内日吉町にあり、近くには日枝神社や酒田港がある。土・日はかなり込み合うと聞き、午前10時半に店を訪ねると、開店は同11時半であるとのこと。もう少し早く入れてもらえるよう交渉したが、それでもまだ時間があることから、日枝神社や酒田港を散策することにした。日枝神社の神殿は、さすが海運で栄えた街らしく贅を尽くした装飾があちこちに施されていた。おそらく、神社、仏閣などにおいて、他の土地のそれに引けをとらないものを創ることによって、土地の力や文化度を向上させてきたのだろう。神社の境内を抜けると酒田港が一望できる日和山(ひよりやま)公園がある。ここは、地元の桜の名所で、日本で一番古い木造灯台(六角灯台)や千石船の1/2再現模型などもある。短い時間ではあったが、由緒ある歴史の風に触れゆったりとした時を過ごす。数年前、司馬遼太郎の高田屋嘉兵衛を描いた時代小説「菜の花の沖」を読んだことを思い出した。たしか、全6巻の長編作であったが、その中に、酒田港が大いに栄えているといった記述も多数あり、今回の訪問を機にもう一度読んでみようと思う。

30分ほどの散策を終え、鈴政の暖簾をくぐる、早速、寿司が一種類ずつ運ばれてくる。最初のネタはトロ、20人近くのメンバー全員が、寿司を口に入れた瞬間「うーん」とうなり声を上げたまましばらく押し黙る。「う、うまい。なんだこれは」誰かが叫ぶ。小レポートを読んでいるメンバーには申し訳ないが、自分自身もこんなに旨い寿司を食べたのは初めてだ、それほど旨い。トロの後、ホタテ、エビ、アナゴ、赤身、イクラ、とび子などのネタが次々と運ばれてくる。すしが10種と魚の粗が入った汁椀、これにビールを飲んで、なんと値段は1人3,500円。誰かが、「銀座あたりでこれだけの寿司を食べれば、きっとうん万円だろう」と話していたが、本当に旨かった。酒田に行く機会があれば、是非にも奨めたい店だ。

絶品の寿司を食べ、飛行機までの時間があることから、今も現役の倉庫として使われ、一部が観光土産店や博物館になっている「山居(さんきょ)倉庫」を訪ねる。同倉庫は全部で16棟が軒を連ねているが、このうち2棟を土産店、博物館に利用している。また、倉庫の周りには、樹齢がおそらく何百年になるような見事なケヤキ並木があり、ここにも酒田の歴史と文化を感じることができた。

夏場のイベント(花火大会やWRCなど)の仕事が忙しく、今年度初めてのブロック大会参加であったが、酒田YEGの熱い思い、そして、東北ブロックの高い志を感じることができた大会であった。また、日本史的にも国内を代表する湊町「酒田」の歴史、文化に触れるにつけ、こうした優れた“地域ストック”を生かした地域づくりに我々がさらに思いを強くし、取り組んでいかなければならないと感じた旅であった。


*** 2006年9月27日UP ***


■第24回近畿ブロック大会大和高田大会〜石井宏治放浪記〜 文責:石井宏治

9月7日(木)
14時30分に帯建工業に國枝会長を迎えに行きました。すると会社から大宮先輩が出てきて、手厚いお見送りを受け、いざ帯広空港へ…。17時25分に羽田空港に到着し、『品川プリンスホテル新館』に宿泊。その日は國枝会長が、パソコンの打ち込み作業があるらしく「石井君、今日はフリーでいいよ」と言われ「東京ナイトを楽しもうかなぁ」と思ったのですが、木村リーダーの顔が思い浮かび部屋で読書をして寝ました (*^_^*)

9月8日(金)
6時に起床し、7時30分に國枝会長とロビーで待ち合わせ。なんと私のほうが早くロビーに到着!! かなり待ったような顔をして國枝会長と合流し (*^_^*) 朝食を済ませました。その後、8時20分品川発京都行きの「のぞみ11号」に乗り込み、10時33分に京都に到着。それから近鉄線に乗り換え、11時30分に大和八木市に到着、さらに乗り換えて11時44分に開催地である大和高田市に到着しました。物凄く暑い (-_-;)

駅の改札を抜けると、そこには、水本近畿ブロック代表理事、中前大会会長、阪口実行委員長の高級車でのお出迎えがあり、途中で昼食を済ませ、表敬訪問先の大和高田商工会議所に向いました。
大和高田商工会議所の河村会頭を表敬訪問した後に、会議所向かいある大和高田市役所を表敬訪問。大和高田市の吉田市長との対話の中で、吉田市長は『私は大和高田YEGのOBで3年前に初当選し、その選挙で中心に運動したメンバーが青年部である。私がYEGメンバーの時は、特に大きな行事は開催しておらず、大和高田YEGにとっては、初めての大きな大会である。そのため、今大会にあたり協力は惜しまない』ということを仰っていました。また対話中、大和高田YEGメンバーと市長が友達や仲間のようにフレンドリーでとても和やかな雰囲気であったことが強く印象に残りました。

表敬訪問終了後、近畿ブロック会長会議会場の文化会館さざんかホールに移動。15時から17時まで近畿ブロック会長会議に参加し、その後、同じ会場での前泊者懇親会に参加しました。2次会、3次会にも参加し、23時30分宿泊先のビジネスホテルふたかみに到着。疲れきって寝ました。ZZZ………

9月9日(土)
部屋のエアコンが故障しており、汗だくで6時に起床!
部屋の設定温度を20℃にしたはずなのに(-_-;) 國枝会長との待ち合わせは7時30分だったのもかかわらず早く起きすぎた。エアコンのことでロビーに電話しようとも電話がない! まぁ、しょうがないのでお風呂にでも行きますか…1番風呂だし(^.^)』さっそく2階の大浴場へ向かうと既に浴場の中に人の気配が!『まぁ〜多分老人だなぁ』と思い扉を開いた瞬間…!!!『國枝会長!おはようございます!!』

7時に朝食を済ませ、國枝会長と共に式典会場へ。朝の散歩を兼ねて7時30分に出発です。
私は國枝会長のセクでお供した場合、必ず大会成功祈願のため神社に参拝に行くのですが、ホテルから出た瞬間、暑い!!(-_-;)
汗だくになりながら、ホテルの従業員からいただいた周辺マップを手に持ち神社へ向う。最初は私も國枝会長も神社は近くにあるんだなぁという思いで歩いていたのですが、汗だくになりながら1時間近く歩いてようやく神社に到着。参拝後、國枝会長より『式典のリハーサルがあるから、早めに行こう』ということになり、さらに40分程度歩いて、ようやく式典会場の文化会館さざんかホールに到着。昨日飲んだお酒が全て汗で流れ出ました (・_・;)

また、散歩途中に國枝会長が『あれっ!さっきここ歩いたなぁ』との有難いお言葉も頂戴しました。ん!?

式典リハーサル終了後、11時から12時30分まで記念式典に参加。途中昼食を済ませ、13時から14時50分まで記念講演に参加。ゲストはテレビ朝日系の情報番組【サンデープロジェクト】でお馴染みのフリーランスジャーナリスト財部誠一氏で「中小企業のオアシスはどこに」をテーマにお話しいただきました。

その後、15時から17時30分までは分科会に参加しました。分科会はゲストに錣山親方(元関脇寺尾)の講演を50分程聞き、その後パネルディスカッションが行われた。パネラーは錣山親方、國枝会長、吉田大和高田市長、酒本商工会議所副会頭の4名で、立場の違う4人が創業や経営革新に関してそれぞれの理念や経験、ビジョンを持ち出し、融合させ、近畿ブロック大会テーマである「オアシス」について語られました。

そして18時から20時までの大懇親会は、横浜ベイスターズの三浦投手の出身校でもある大和高田市立商業高等学校の体育館で行われました。大懇親会開始前に國枝会長の姿が見えなくなり焦って探しに行く場面もありましたが、1千名近い参加により豪華に開催された。会場設営にあたり、体育館には冷房設備が整っておらず、大和高田YEGメンバーがリース代で100万以上もする冷房車を用意して一生懸命設営にあたっていました。全国大会帯広大会では、逆に暖房で苦労したわけで、正反対だなぁという印象を受けました。アトラクションでは日本唯一の在日メンバーによる中国雑伎団が会場を沸かせました。
大懇親会終了後、2次会に参加し、大和高田YEGメンバーと大会成功を祝しました。

9月10日(日)
ホテルのエアコンも順調すぎて7時に起床。逆に寒すぎて起きました。エアコンのスイッチをよく見ると、昨日は冷房になっておらずドライになっていたことに気付く(-_-;)

ホテルを9時30分にチェックアウトし、大和高田YEGメンバーの車に乗って、國枝会長が前回訪問した時に、とても美味しいと感動したお好み焼き店に向いました。
そこのお店は姉妹で営業しており、そこの名物『ごちゃ焼』をいただきました。『ごちゃ焼』とは、色んな食材(ホルモン・イカ・キャベツ・豚肉・もやし?等等)を焼いてその上に薄い生地をのせ、さらに大量の青葱をのせ、特製ソースをかけてゴチャゴチャに混ぜて食べる(説明が下手!しかも写真撮っていない)というものでした。それは物凄く美味しくて、ビールのつまみには最高でした。食後にそこの店の店長でもあるお姉さまが、前回國枝会長が来店した時からの大ファンらしく「カッコいい」を連発し、最後に國枝会長と記念写真を撮りました。

その後、國枝会長は伊勢市に向かい、私は帯広に帰省しました。

最後にこの近畿ブロック大会に参加した感想を述べます。
やはり1番強く印象に残ったのは、やはり、大和高田YEGのOBが現役の市長ということでした。そのことにより、YEGと市との距離が縮まり、お互い協力しあうことが出来ると思います。また、提言もしやすくなると思います。
大和高田YEGと大和高田市がお互いに協力して成功させた大会でした。

※大和高田市長室には、大和高田YEGのメンバーと一緒に写した写真が飾られていました。



*** 2006年9月27日UP ***

■にこばり梶野宗一郎の“四国ブロック高知大会”レポート
              YEG改革推進会議全国大会PR編
 文責:梶野宗一郎

さて、このレポートを書いていると、とあるメンバーからお電話を戴きました。その方を仮にIさんとしましょう。
Iさん曰く「期待しているのに、文章が短すぎだ。また次のレポートまで期間が長すぎて、待ちきれない。なんとか、もう少し長く、また早く次回を書いて欲しい」というクレームのような有難いリクエストでした。この場をお借りいたしまして感謝いたします。

次回より、1日でも早くレポートさせていただくことをお約束させていただきます。

では、本日のレポート始まり始まり。

今年は、大分の全国大会で「YEG改革推進会議」のフォーラムを開催いたします。それは、簡単に言うとこんななのです。

「官僚」って聞いてどんなイメージを持ちますか?
私たちも今年1月に浜松のカリアックで開催した最初の会議で「官僚のイメージ」についてメンバーと話し合いました。
私たちが出会った若手官僚はこんな人です。彼らは「自分は官僚ではなく、国のために、国民の為に働く国家公務員です」と言い、「私たちが意識を変えなければならない」と、そのための活動を展開していました。また、彼らの中には、自分で地域活性化プロジェクトを立ち上げ、休日に、自費で各地に出かけ、その地域の人たちと一緒にボランティア活動する人もいました。
何故、彼らはそういった行動をとるのか。
それは、彼らが日本の現状と、将来に危機感を持っているからであり、『何かをしなければ』と考えているからでした。官と民、国と地方といった違いはありますが、それって、私たちの活動や思いと同じだと思いませんか。
もし、同じなら国の省庁と日本YEG、国の官僚と地域のリーダーが直接繋がったら何か新しいことができる、と考えました。
そして官僚と直接語り合う「故郷の新しい風会議」に取り組みました。
さらに、その会議で、従来のような、形ばかりを気にする政治的でもなく、ただ文句を言ったり、お願いをする陳情型でもなく、地域を元気にすることを本気で考えている仲間として、本音で語り合いました。
そして、私たちは彼らが、遠い存在ではなく、また、堅い人、エライ人でもなく、国や地域を本気で考えている同世代の仲間だということが分りました。

彼らとの議論を重ね、我々の本気は国に繋がるし、私たちが本気の活動を続けていけば、地域は輝きを取り戻せる、そして、地域の活動をつないでいくことで、日本は元気を!輝きを取り戻せるということを感じています。

まだまだ始まったばかりですが、「地域からの風」「中央からの風」が吹き始めたということを私たちは今、実感しています。
しかし、限られたメンバーでいくら頑張っても、この風を強くしていくことはできません。
この風を強くするには、全国各地のYEGメンバーの力が不可欠であり、それぞれの地域で新たな風をおこすことが必要です。
そのために、まずはこの風を、彼らの言葉を、彼らの本気を、皆さんの肌で直接感じていただきたいと思います。そこで、全国大会大分大会において『故郷の新しい風フォーラム』を開催します。

その場に、本気で、国を、地方を考えているパネリストとして、日本政策投資銀行調査役の藻谷浩介氏と、経済産業省情報政策課の鈴木英敬氏、さらに、日本YEGを代表してミスター国枝恭二会長が登壇し、本気で、本音で熱く語り合います。

日本を変えるために私たちにできることは、まず、自分の“まち”を変えることです。
自分の“まち”を変えるのは、国のお役人ではなく、地域のリーダーです。
そして、地域のリーダーは地域のYEGの中、まさにこの場にいるはずです。

全国大会“大分”の地で、日本のこと、地域のことを本気で考えている熱い“男たち”の 熱い“おもい”に触れ、YEGとして私たちは何ができるのか、何を成すべきなのかを、考えていただきたいと思います。『故郷の新しい風フォーラム』にぜひ参加してください!
そして、皆さんの地域の活動に、国の本気の若手官僚を巻込んでください。

11月10日(金)16:30にお待ちしています。

ということです。
簡単でしょ?

つまり、参加してみて実感していただきたいのです。ぜひとも、大分の全国大会は、ミスターの話し、このミスターの思いが入っているフォーラムを形にしている、後藤議長の話を聞きにいきましょう!

以上、YEG改革推進会議のレポートを終わります。

追伸
次回は、2)高知市長と官僚編をお伝えいたします。またまた、これが凄いです。

追伸2
あまりに真面目すぎると、今メールが入りました。どこで、私のことを見ているのでしょう。
真面目すぎましたので、ちょこっと写真をサービスします。

*** 2006年9月20日UP ***

■にこばり梶野宗一郎の“四国ブロック高知大会”レポート エピローグ編 文責:梶野宗一郎

9月1日、2日、3日!
行って来ました、四国ブロック大会。
ミスター、後藤議長、木村リーダー、そして川崎委員長で。
開催地は、高知市。

まさに「ご返杯」のメッカでございます。高知では「ご挨拶」の意味を持つご返杯も、帯広に輸入されたときは「つぶし合いのご返杯」に早変わりしているところが、さすがミスターでございます。因みに、みなさん「ミスターじゃんけん」って知っていますか?

その内容は、大懇親会とその後編で明らかに・・・・日本YEGではブレイク中!!

川崎委員長は、るんるん気分で、なんと2日もお酒を抜いての高知入りでございます。さてさて、どんな高知滞在になることやら・・・。

私のほうは、もちろん「YEG改革推進会議」の報告に徹します。

えっ?「改革推進のほうはいいから、懇親会の内容を早く?」という投稿もありましたが?? 
ちょっと、待ってよね〜〜〜。
みんなが言ってもそんなことはできません。

なんてたって、式典と記念講演会の間、高知市長と国の官僚とびっちり会議をしていたのですから、まずはその報告からします。えっへん。

というわけで、今回のレポートは、1)YEG改革推進会議全国大会PR編、2)高知市長と官僚編、3)前泊者懇親会編、4)大懇親会&その後編、5)川崎委員長総特集編、以上の5部構成で行います。

ただ、総務委員会の圧力がかかった場合は、構成を変える場合がありますので、予めご了承くださいませませ。

*** 2006年8月18日UP ***

■にこばり梶野宗一郎の“風会議”レポート第3弾 文責:梶野宗一郎

今日は、改革推進会議の近況報告なんてしてみましょう。
なかなか、詳細を明らかにしないブログですが、ちょっとまた飛んでしまいます〜〜。

9月の四国ブロック大会、10月の関東ブロック大会の打ち合わせのため、7月31日には高知で、8月9日には東京で、打ち合わせをいたしました。
帯広からの出席は、ミスター&後藤相談役。

近頃の会議は「ミスター押忍」という最初の挨拶で始まるという噂を聞いたのですが…。(そんなの絶対うそざんすね。ここまでくるとちょっとオーバー?)

もちろん、議長であります後藤相談役が出席し、初めは硬かった雰囲気も、後藤節ですぐに活発な熱い議論に展開し、有意義で建設的な話ができた模様です。
といっても、内容については全く書いていないので、読んでいるメンバーは分からないですよね。
かえって「初めギシギシであったが、後藤節で、バーンとるんるん話したら、めちゃめちゃスパッと周りがフムフム、バリバリ、どっかんどっかん納得した」といっても変わらないか?こりゃ困った。擬似語梶野の本領炸裂か?(^0^)
ちなみに、委員であります私は、帯広の地で暑い夏を体験した模様です。(^0^)

関東ブロック大会では、われら改革推進会議もかかわって分科会を担当してしまうのです。やっぱり、われらがミスターの思いをきちんと形にしていく後藤顧問は、めっちゃバイタリティーを感じますね。みんなで応援しよう!フレーフレー後藤!
といっても、関東ブロックには、一部のメンバーしか参加できないのが残念〜〜〜。
私は、行きますけどね・・・・。交代して欲しいメンバーはいますか?
でも、できませ〜〜ん。ざんね〜〜〜ん。

その代わりに、きちんとブログで報告しますね〜〜〜。(←本当か?また擬似語ブログじゃねいか???)

ところで、前回のブログの続きはどうなった?と反響は凄いようですね。
会議所・HPなどに応援メール、すごいぞメールがひっきりなしに来ているようです!?
いやいや、重い腰を上げてブログ書いてよかったな〜〜〜。

ということで、続きは次回!(えっ!今回もこんなに短いの?)


注:本文中の「ブログ」とはこのページのことです。 by HP管理者

*** 2006年8月10日UP ***


■にこばり梶野宗一郎の“風会議”レポート第2弾 文責:梶野宗一郎

さてさて、長い文章は書けないけど、ちょこちょこなら書けるかも?
なんて思っている、今日この頃ですが、さすがの暑さにめげちゃいそう。

ところで、「ミスター放浪記」は、出版するんではないかと、もっぱら巷でのうわさが。

うわさの火元は私だ。ミスターは「日本YEGのみんなに、こうやって、ちょされている」と言うが、私は「使われるが花」の後輩の気持ちになり、もっと宣伝しようと考えている。これって正しいと思っているけど、変かな?

「ミスター!押忍」

さて、ここでちょこっと。「YEG改革推進会議」ってなんだ? って思っているメンバーに朗報です。
少しだけ、答えちゃおう!

議長は、後藤健市相談役。
帯広YEGが誇る企画王の後藤相談役が議長を勤めるから、楽しみといえば楽しみです。さてさて・・・・。

といっても、企画王の後藤相談役のことを知らない16年度以降入会した方に・・・。

平成15年度には、単会の会長として「Re・フロンティア」をスローガンに数々のトライアルをしました。例えば、懇親例会の形を作ったのも後藤相談役ですよ。それ以前の2年間の間で50名以上の新入会員が入り、今後例会の後に集まれる大きな場所がなくなるだろう、委員会同士の連携も必要だということで、このシステムを作ったのです。さすがだな〜〜。

と同時に、日本YEGへも出向し、企画委員長という大役も全うしました。これまた各ブロックに行ってブロック大会のリハーサルなどもするんだからすごいよね。このときも、日本YEGにおいて各大会企画運営のシステムを作ったということ。さすがだな〜〜。

で、翌年、平成16年は日本YEGの監事。日本YEG役員会での監事講評は毎回みんな聞き入っていたとのこと。さすがだな〜〜。

という後藤相談役が議長を勤める「YEG改革推進会議」の中味とは。やっと本題です。(前フリなげ〜〜〜)

これまた、テーマが3つもあるのです。

まずは、日本YEGの足元を見る「日本YEGあり方検討グループ」。
そして、日本から世界を見る「日本YEGアジア連携検討グループ」。
最後に、ミスターの想いが詰まっている「新しい風会議推進グループ」です。

この「新しい風会議推進」が前回のこのページでお話しました、官僚との会議なのです。
11月の大分での全国大会では、パネルディスカッションを開催し、2月の会長研修会でもその活動の報告をさせていただきます。詳細は、随時このページで・・・・。(え!もう終わり?)

*** 2006年7月31日UP ***

■梶野宗一郎の“風会議”レポート 文責:梶野宗一郎

ミスターブログといい、和田室長のレポートといい、「みんな、なんでこんなに話がうまいの?」なんて思いながら、どう書こうか迷ってしまって、はや2週間。そろそろ重い腰を上げて、ちょこっとYEG改革推進会議の報告をしないとね。

YEG改革推進会議では、国の官僚、俗に言うキャリアという方々と地域再生の特区について関わりを深めています。
深めるといっても、YEGの得意な飲みばかりではありません。突っ込んだ話です。 帯広YEGの例会でテーマにしたことがありましたが、「特区」と聴くと、なかなかかかわりづらいなんて思いましたが、実はそんなことはなかったのです。
う〜〜ん、簡単に説明できないけど、説明すると…。
疑問に思っている規制とかがあると「この規制がなんであるんだろう?」「そんな時代じゃないジャン?」なんて思ったことありませんか?
その規制が解除されると、もっと地域を含め効率よくできるのに、というところを特区という手法を使い実現可能にすることだと思っています。

では、ここでじゃあ何処に尋ねれば?とお思いでしょ? そんなときは、例会で私の耳元で「とっくに教えて?」と囁いてください。(^0^)

さて、YEG改革推進会議には、各ブロックから1名以上のメンバーが参加しています。それは、議長である後藤さんの考えからです。この会議で得たことを各ブロックに持ち帰って欲しいというポイントがあります。実際に動き出したところもあります。
この特区については、私も試行錯誤中です。 考えがまとまれば、皆さんにお伝えできる場面があると思います。その1つが、今年度の全国大会大分大会で行われる「故郷の新しい風フォーラム」です。楽しみにしていてください。



さて、7月の東京の会議では、元岡山市長で現衆議院員でもある小泉チルドレンの萩原誠司議員をお迎えして座談会を行いました。
キーワードは「ただ乗り」です。
詳しいことは、例会で私も耳元で
「ただ乗り教えて?」と囁いてください(^0^)

ということで、中途半端なレポートですが、次回もこうご期待!



*** 2006年7月19日UP ***

■平成18年7月13日(木)〜14日(金)日本YEG第169回役員会等(東京) 文責:和田郁夫

勉強会の冒頭、挨拶する國枝会長
其の壱「地域創造・支援委員会勉強会」

7月13日(木)午前9時半、日本商工会議所3F特別会議室において、自分が所属する日本YEG「地域創造・支援委員会」の勉強会が開催され出席した。

内容は「第3者連帯保証人制度」に関するもので、講師には青山学院大学国際政治経済学部助教授の瀬尾佳美氏(せお・かみ)を迎え、國枝日本YEG会長、鈴木同副会長(弘前YEG)、鳥澤同専務理事(上尾YEG)ほか委員会メンバー9名、オブザバー8名の計20名が参加して行われた。

挨拶する西村日本YEG地域創造・支援委員会委員長。左は講師の瀬尾青学助教授.。
瀬尾助教授の話に真剣に耳を傾ける参加メンバー。

勉強会の趣旨は、当委員会が事業とし行う「日商への提言書提出」のためであり、同制度は春の会長会議で全国の単会から提言書のテーマとして提案を受けたものである。

講師の瀬尾教授は、自身も義兄の保証人被害に遭っており、この事例をサイトで紹介したところ、同じようなケースが非常に多い実態を知り、専門の経済学におけるリスク管理の視点から連帯保証人問題の研究に取り組んでいる。

講和の中で同教授は、1.連帯保証 2.信用保証 3.自己破産−は一括の問題として取り扱うべきあるとの持論を展開、暗に個々の問題として取り組んでいる政府の動きを否定。さらに、経営の実態を知らない第3者でも保証人になれる現行制度の矛盾点や「やる気、能力の有無」に関わらず自己破産した人間には重いレッテルが貼られ再起が難しいGHQの置き土産といわれる自己破産制度の実態に対し警鐘を鳴らすとともに、制度の見直しの必要性を説いた。さらに、日本経済の根幹を中小・零細企業が担っているにも拘らず、これらを支える施策について国はもっと真剣に取り組まなければならないと国の動きの鈍さを非難した。

本勉強会を通じ、今まで自分事としては捕らえることがなかった連帯保証や自己破産の実態について、さわりだけではあるが知ることができたことは非常に有意義であったし、起業、創業にとって現行制度がいかに手かせ足かせになっているかを認識できたことは大きな収穫であった。





屋形船の外観
屋形船の船内。後藤さん、梶野さんもすでに最高潮
入り口にある「石川屋」の看板と美人スタッフ
味本日本YEG副会長が引き連れてきた女優の内田量子さん。美女を前にカジもデレデレ…
船内の給仕を担当する美人スタッフ

其の弐「屋形船での理事者懇親会」

7月13日(木)午後7時、あいにくの雨模様の中、日本YEG出向理事らによる懇親会が開催された。

今回の懇親会は、なんと屋形船による東京湾内クルージング。乗船した船は芝浦埠頭の「石川丸」で参加メンバー約100名は2台の屋形船に分かれて乗船した。

船内にはエアコン、カラオケ、トイレが装備、その上、簡単な調理もできる厨房も付いている。かなり窮屈な印象をもって乗船したが、船内は以外に広く50名ものメンバーが乗っても十分なスペースが与えられ、まるでホテルのお座敷のようであった。

午後7時15分、定刻よりも若干送れて船が動き出す。現在、高層マンションの建設ラッシュが進む芝浦アイランドを横目にゆっくりと進み東京湾へ出る。お台場のフジテレビ社屋や大観覧車の夜景を楽しみながらレインボーブリッジの真下へ入ったところで一時停泊、この間、たくさんの屋形船と行きかう。

船が動き出して約30分、宴会のボルテージも最高潮に、さすがに船の中ということもあり「いっき飲み」の暴挙にでる者はいなかったが、自分達が海上にいることも忘れ大いに盛り上がる。

料理は、刺身、和え物、てんぷらなどなど・・・。なんとてんぷらは船内の厨房で揚げたものをスタッフが船の屋根の梁をつかみながら軽快な動きで運んで歩く。「自分なら確実に酔って、料理の上に吐くな」などとくだらない空想をしながら、しばし感心して彼らの動きに見入ってしまう。

また、この船には味本日本YEG副会長(高知YEG)が同YEGOBの娘で女優の「内田量子さん」を引き連れてきた。内田量子と言ってもぴんとこない人も多いと思うが(実は自分も知らなかった)、カネボウ「コッコアポA錠(便秘薬)」やトヨタ自動車「ポルテ」のCM、2000年に放映されたNHK連続テレビ小説「オードーリー」や最近では確か深田恭子が主演した「富豪刑事」などにも出演している女優さんだそうだ。今回は、現在、撮影が進められている主演映画「棚の隅」のPRで乗船していた。

あっという間の2時間が経ち、再び芝浦埠頭に帰船。酒に酔ったのか、船に酔ったのか判然とはしないが、かなりふらふらしながら船を下りる。下船後、初めての屋形船という至福の時間を過ごさせてもらったことに深い感動をおぼえながら、仲間と銀座方面へ向かうタクシーに乗り込んだ。












其の参「委員会、役員会、ブロック大会開催地連絡会議懇親会」

各地ブロック大会開催地連絡会議懇親会で挨拶する國枝会長
今年の全国大会大分大会長の工藤さん。2年後の日本YEG会長予定者
ブロック大会開催地PRで一気飲みをかってでた鳥澤日本YEG専務理事。國枝会長もすでに一気をやり余裕の表情

7月14日(金)、前日のお酒を体内に残した状態で6時半に起床。軽めの朝食をすませ、午前9時からの委員会会議に出席するため新橋から有楽町の新東京ビルへ移動。東京は朝からすでに30℃近い気温で、おまけに湿度も高く、会場に着く頃には全身汗まみれ、これが奏功したのか、お酒も抜け幾分すっきりした状態で会議モードに。正午までの3時間の会議であったが、さすが「日本YEG一の濃いメンバー」による会議(ちなみに、この地域創造・支援委員会は「地域騒々しい委員会」と言われている)は、時間の経つのも忘れるくらい熱い議論が行われ、あっという間に昼食の時間となる。

昼食をかっ込み、12時45分からの169回役員会に出席。北海道出向理事の自分は、会長、副会長、各委員長らが並ぶ上座に近い位置に着座させられることから、うかうか居眠りもできない。もとい、居眠りなどもってのほか、本役員会では審議・協議・報告事項も盛りだくさん、2時間かけて数々の重要案件を裁いていく。

あっという間の役員会を終え、夕方のからのブロック大会開催地連絡会議懇親会までしばしゆったりとした時間を送れるかと思いきや、来年2月に石川県加賀市で開催される「全国会長研修会」に関しただならぬ出来事が発生。詳しいことは、紙幅の都合上、小レポートには記載しないが、「当大会の会員研修会の部分を日本YEG執行部並びに地域創造・支援委員会で担当してもらえないか」というもの。時間もなく度々メンバーが集まることもできないことから、緊急の会議を開くことに、もともと低い思考回路がさらに鈍った状態で再び打ち合わせ。しかし、ことがことだけにすんなりと結論が出るわけもなく、そうこうしているうちに懇親会の時間になってしましった。

前段のこともあり、多少の消化不良状態で懇親会がスタート。しかし、ここはさすがYEG、國枝会長挨拶、乾杯のあとは隣のメンバーの声も掻き消えてしまうほどのハイボルテージに。飲んだビールがその場で汗として噴出してしまうのではないかと錯覚してしまほどの熱気のなかで宴は繰りひろげられた。各地ブロック大会の成功とメンバーの再会を約束し2時間に及ぶ懇親会が無事終了、多くのメンバーはさらにお金を落とすため夜のとばりに散っていった。







OBIHIRO YEG*     *とじる